田舎在住マンガ家艶々の日常など
Posted by sitomi - 2016.03.21,Mon
Posted by sitomi - 2016.03.15,Tue
一昨日原稿が上がって解散。
昨日は名古屋のニコンサービスセンターへフィルムスキャナを修理に出してきた。これで2度目だ。
僕がメインで使ってるフィルムスキャナはLS-9000EDというやつで、ニコンのスキャナの中では
唯一修理部品保有期限がまだ残っている型なのだ。なのでまだギリギリ修理が効く。
とはいえ、やはり最近調子の悪かったD90と一緒に出したら合わせて4万強かかりますと言われた。
スキャナはまあ仕方ないとしてD90はなあ。なにしろヤフオクなんかじゃあもう3万もしないカメラだ。しかも僕のは使い込んでるからグリップなんかももうボロボロなのだ。
とはいえそうやってボロボロだからこそ見捨てる気にもなれないんだけど。
D90より後に買ったD700もD600もD3もD4もD300もD300sも全部売ってしまって、なのにこれだけは残ってる。理由なんてのも始めて買ったデジタル一眼レフだから、というだけのことなんだけど。いずれ完全に壊れても置いておきそうな気がする。まあそうなったらもう売るにも売れないんだけど。
デジタルだろうがなんだろうが馴染んだ道具というのには愛着がでるもんなんだな。
さて明日は横浜。ちょっと行って一泊して朝方にささっと帰ってくるつもり。
木曜にはスタッフ全員集合なのだ。ホテルでマッサージでもうける余裕があると良いな。
Posted by sitomi - 2016.03.11,Fri
原稿作業終盤。それはそれとしてそろそろ次の次のネームに取りかからねばというところ。
しかし明日は飲みに出るかもしれない。うーん。
そういえば週アタマに「パトス」にまた重版がかかったとのお知らせ。静かに喜んで1人祝杯。
ありがとうございます。みなさんのおかげです。ほんとに。
それにしても身体がなまっていてダメだ。節々が痛いのはむしろ運動不足のせい。
全く足りてない。温泉にも行きたいけどその前に山へ行くとかしてなんだかたくさん歩きたい。
そろそろ作業にも余裕が出来てくるので近所の山でも登ってくるかなあ。
しかし明日は飲みに出るかもしれない。うーん。
そういえば週アタマに「パトス」にまた重版がかかったとのお知らせ。静かに喜んで1人祝杯。
ありがとうございます。みなさんのおかげです。ほんとに。
それにしても身体がなまっていてダメだ。節々が痛いのはむしろ運動不足のせい。
全く足りてない。温泉にも行きたいけどその前に山へ行くとかしてなんだかたくさん歩きたい。
そろそろ作業にも余裕が出来てくるので近所の山でも登ってくるかなあ。
Posted by sitomi - 2016.03.07,Mon
ちょっといいワイングラスを買ってきたので今日はワインで一杯
ーなんて思っていたのに結局ノルマ分の下書きは終わらずワインも空けず、
結局きゅうりのキューちゃんとのり玉のふりかけをアテに大好きないつもの焼酎で晩酌する夜。
さてそんな時間はipadでネットをふらふらと見ているコトが多いのだけど、目に付いたのが保育園に入れないことがどうのと言う最近話題のあのお話。
詳細を知るに心を痛めるが、ニュースになるよりも前、ツイッターの誰かのRTでその見出しを初めてみたときは正直、なんだかなあ、だった。内容では無く、その表現で。
“死ね”というわりとえげつない言葉を使ったセンテンスをこうして不特定多数の人間によって世界中に報せ回されてしまうという現実。
言葉というのはけっこう大事なもので、その使い方で最初の印象も決まってしまったりする。
友人同士で話すときと公的な場所で話すときは当然違うし、目上の人や年下とでももちろん違う。だからこそ大事で面白いモノだとは思うし、こうして末端なれど表現することを生業としていると多少敏感にもなるものなのだ。
彼(か)のつぶやきは結果として問題提起としてはとても良いことだったと思うし、おそらくは本当に発信者の心の叫びだったのかも知れない。しかし結果としてその人を殺すかのような言葉がいまだにニュースのトップを飾ってしまっている。もちろんマスコミはそのインパクトをもって見出しとしてあの過激な言葉を取り上げているのだろう。しかしそれをわかっていても、やっぱりそれをふと見つけたとき空恐ろしい気分になる。もちろん抽象的な意味合いとしてではあるんだろうけど、それでも「死ね」と言う言葉はやっぱりだれかそこにいるなにかの命を消してしまえという意味だ。それはいつからああも軽々しく使える言葉になったのか。
ーとはいえあの言葉で無ければきっとここまで話題にならなかったのも事実だろう。
それでも酒に酔って目にすると、ああいう言葉が見出しに平然と使われ続けられるとき、ニュースを編纂する人間はその言葉に敏感じゃ無かったのかとふと思って妙な苛立ちを感じてしまうのだ。
結果ストレス発散のためのサケは、別のベクトルにモヤモヤを感じてなんの役にも立たないのであった。既に起こった現実に対して部屋の中で苛立つことが何の意味もないこともわかってはいるんだけれども。
酔っ払って書いているので明日になったら消すかも知れない日記ですが。
とりあえずスタッフは水曜日の集合。それまでにあと12枚。
明日も頑張ろう。
ーなんて思っていたのに結局ノルマ分の下書きは終わらずワインも空けず、
結局きゅうりのキューちゃんとのり玉のふりかけをアテに大好きないつもの焼酎で晩酌する夜。
さてそんな時間はipadでネットをふらふらと見ているコトが多いのだけど、目に付いたのが保育園に入れないことがどうのと言う最近話題のあのお話。
詳細を知るに心を痛めるが、ニュースになるよりも前、ツイッターの誰かのRTでその見出しを初めてみたときは正直、なんだかなあ、だった。内容では無く、その表現で。
“死ね”というわりとえげつない言葉を使ったセンテンスをこうして不特定多数の人間によって世界中に報せ回されてしまうという現実。
言葉というのはけっこう大事なもので、その使い方で最初の印象も決まってしまったりする。
友人同士で話すときと公的な場所で話すときは当然違うし、目上の人や年下とでももちろん違う。だからこそ大事で面白いモノだとは思うし、こうして末端なれど表現することを生業としていると多少敏感にもなるものなのだ。
彼(か)のつぶやきは結果として問題提起としてはとても良いことだったと思うし、おそらくは本当に発信者の心の叫びだったのかも知れない。しかし結果としてその人を殺すかのような言葉がいまだにニュースのトップを飾ってしまっている。もちろんマスコミはそのインパクトをもって見出しとしてあの過激な言葉を取り上げているのだろう。しかしそれをわかっていても、やっぱりそれをふと見つけたとき空恐ろしい気分になる。もちろん抽象的な意味合いとしてではあるんだろうけど、それでも「死ね」と言う言葉はやっぱりだれかそこにいるなにかの命を消してしまえという意味だ。それはいつからああも軽々しく使える言葉になったのか。
ーとはいえあの言葉で無ければきっとここまで話題にならなかったのも事実だろう。
それでも酒に酔って目にすると、ああいう言葉が見出しに平然と使われ続けられるとき、ニュースを編纂する人間はその言葉に敏感じゃ無かったのかとふと思って妙な苛立ちを感じてしまうのだ。
結果ストレス発散のためのサケは、別のベクトルにモヤモヤを感じてなんの役にも立たないのであった。既に起こった現実に対して部屋の中で苛立つことが何の意味もないこともわかってはいるんだけれども。
酔っ払って書いているので明日になったら消すかも知れない日記ですが。
とりあえずスタッフは水曜日の集合。それまでにあと12枚。
明日も頑張ろう。
Posted by sitomi - 2016.03.04,Fri
ひな祭りの日は長崎に行っていた。15年前に亡くなった友人の墓参り。
本当の命日は年末でひなまつりは全然関係のない日なのだけど、年末から色々と用事が入ってなかなか行けず、ここにきて突然予定が空いたのでココで行くしかないと、もともと2泊で行く予定だったのを1泊にし慌てて飛行機を取って行ってきたのだ。
いつものように墓参りをし、すぐ近くにある実家へ向かってお母さんに会った。
あれから15年かあ、なんて毎年のように話す台詞だけど、数字だけは確実に増えている。
いつまでこうして来続けられるだろうか、なんてことも思う。
この日は池島に行くつもりだったのであまりゆっくりもできない。
そう告げると、お母さんは残念そうにした後、なにもないけど と今日ちょうど作ったというちらし寿司をたくさんアルミホイルにくるんで渡してくれた。大村寿司のちらし寿司版のようだ。
今年の末にはゆっくりくるよと約束して彼の家を後にした。
その後レンタカーで神浦港まで走りフェリーで池島へ。
池島に一件しかない宿に宿泊して写真をたくさん撮ってぶらぶらして。島は相変わらず静かだ。
人の気配が異常に少ないから当たり前か。高層住宅のある地区なんてほぼ全てが廃墟だし。
夜になってもらってきた大村寿司を食べた。とても美味しくてなんだかお母さんに申し訳ない気分になった。やっぱりもっとゆっくりお話してこればよかったなあと。しんみりしたので夕方買ってきたビールをがばがばと飲んで寝てしまうことにして。
翌朝もまた日が昇る前から島をブラブラとして、昼すぎに早岐駅まで戻り車を返却。
7時間かけて帰ってきたのは夜の9時すぎだった。
今日はさあ下書きだとやってみるが明日は結婚式で横浜へ行く予定。
それにしても墓参りの次にすぐ結婚式。バタバタしてるなあ。
本当の命日は年末でひなまつりは全然関係のない日なのだけど、年末から色々と用事が入ってなかなか行けず、ここにきて突然予定が空いたのでココで行くしかないと、もともと2泊で行く予定だったのを1泊にし慌てて飛行機を取って行ってきたのだ。
いつものように墓参りをし、すぐ近くにある実家へ向かってお母さんに会った。
あれから15年かあ、なんて毎年のように話す台詞だけど、数字だけは確実に増えている。
いつまでこうして来続けられるだろうか、なんてことも思う。
この日は池島に行くつもりだったのであまりゆっくりもできない。
そう告げると、お母さんは残念そうにした後、なにもないけど と今日ちょうど作ったというちらし寿司をたくさんアルミホイルにくるんで渡してくれた。大村寿司のちらし寿司版のようだ。
今年の末にはゆっくりくるよと約束して彼の家を後にした。
その後レンタカーで神浦港まで走りフェリーで池島へ。
池島に一件しかない宿に宿泊して写真をたくさん撮ってぶらぶらして。島は相変わらず静かだ。
人の気配が異常に少ないから当たり前か。高層住宅のある地区なんてほぼ全てが廃墟だし。
夜になってもらってきた大村寿司を食べた。とても美味しくてなんだかお母さんに申し訳ない気分になった。やっぱりもっとゆっくりお話してこればよかったなあと。しんみりしたので夕方買ってきたビールをがばがばと飲んで寝てしまうことにして。
翌朝もまた日が昇る前から島をブラブラとして、昼すぎに早岐駅まで戻り車を返却。
7時間かけて帰ってきたのは夜の9時すぎだった。
今日はさあ下書きだとやってみるが明日は結婚式で横浜へ行く予定。
それにしても墓参りの次にすぐ結婚式。バタバタしてるなあ。
カレンダー
最新コメント
カテゴリー
プロ野球Freak
powered by プロ野球Freak
Template by mavericyard*
Powered by "Samurai Factory"
Powered by "Samurai Factory"