田舎在住マンガ家艶々の日常など
Posted by sitomi - 2024.02.09,Fri
あの件で近しい漫画家さんたち何人かといろいろ話をした。
みんなどこかずっとモヤモヤしている。
ただ、なにかを責めたり誰の責任とかを声高に挙げる人々に恐ろしく違和感があった。
さも我がこれが正義だと言わんばかりの声や引用に嫌気が差す。
本当のことは現場にいる人間だけしかわからないし
先生に近かった人間しかその気持ちに寄り添うことなんてできない。
誰が何のために怒りを振りまいているのかわからない。
報いを受けろという人々は神か何かか?
ただ、モヤモヤしている僕だって先生の作品をちゃんと読んだことがなかった。
あの作品がなにを言おうとしていたのか、そして根源はたぶんそこにあったはずなのに
それを知らない。
だからせめてちゃんと読んでみようと、かの作品を全巻買って読んでみた。
とても良かった。というより、とくに僕の好きな系統のマンガだった。
なので本当に楽しくて面白くて
それからすごく悲しくなった。
面白くてたまらないのにその先はもうないのだ。
絶筆というのは悲しくて罪だなとつくづく感じた。
出来ることはなにもないし、ただ噛みしめるしかない。
ここから僕がなにかを叫んであの世界がどうにかなるものでもないだろう。
ただ、これを機に何かが良い方向に緩やかにでも変わっていけば良いなと思う。
そして
いま、先生の魂がせめて安らかでありますように、と願ってます。
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Posted by sitomi - 2024.01.19,Fri
あけおめ~とか言えない喪中です。
昨年は何度お葬式やその類いの催しに出たことか。
人生最多だった。
さて上記のなんでもない住宅街の写真だけども
これは37年ほど前に住んでいたアパートのあった場所。
昨日資料写真撮りに名古屋へ行ったときに
通り道だったのでちょっと通ってみた。
合った場所と行っても、大家さんの自宅がそのアパートの南側にあって
それが写真右の手前から3軒目の家。
わかりにくいが赤茶色のフラットな屋根の家だ。
大家さんの家はあの当時のままで変わってない。
アパートはその裏庭に建っていたので日光は全くといって良いほど当たらなかった。
手前に良い車が1台ずつ並んだ家が2軒建っている。
ここは廃工場だった。ずっと何年も放置されていて
アパートを取り壊すという話を聞いたときに最後に見に来たときも
まだ廃工場のままだった。それが15年ほど前のこと。
まわりもずいぶん変わった。
まずすぐ近くにナゴヤドームが出来て(いまはバンテリンドーム)
その後地下鉄が通った。駅もすぐ近くにある。
北にはデカいショッピングモールがなぜか2つくらいできてて
マンションもアパートも一戸建てもめちゃめちゃに増えて
あの頃の寂しいオモカゲは全くなかった。
変わってないのは浄水場だけか。
でも短い坂をあがって基幹バス通りに出たらそれほど変わった印象はない。
そういえば基幹バスも出来たばっかりだったなあ。
あの特殊な道のルールを把握したら、あの色の付いた道を
バイクですっ飛ばして走るのが他の車を合法的に出し抜くようで楽しかった。
そういえばここまで書いたけど場所を書いてない。
ここまでの情報でわかる人いるんだろうか。
まあ名古屋に住んでてもわかんないかな。
ま、そうして通りすがりに楽しんだ後、守山の方で資料写真を撮って
さっと帰って下書きをしたのでした。
まだまだ締め切りに追われる日は続くのだ。
Posted by sitomi - 2023.12.03,Sun
Posted by sitomi - 2023.10.26,Thu
そういえば先月小豆島へ行ってきた。
正確に言えば四国から広島へ行って、そのあとまた四国に戻って小豆島へ渡ったのだけど
まあ早い話が旅のラストは小豆島から神戸までジャンボフェリーで移動したのだ。
ジャンボフェリーは二度目で、以前は逆向きに神戸港から深夜便に乗った。
まだ数年前だ。そのときに深夜1時の出航にもかかわらず売店がまだやっていて
そこでうどんを食べることが出来た。小腹も空いてたしなにより深夜に食べる
ちゃんといりこだしの讃岐うどんは溜まらなく美味しかった。
ただ、ジャンボフェリーはその後新造船になり、今回乗ったのはその新しい船だった。
別料金による特別室もあって、そこでは風呂だとか足湯だとか色々豪華になった。
デッキもオシャレになってまあかっこいい。
しかしそのおしゃれな中でもうどんを忘れてなかった。
小豆島を出港してしばらくするとうどんの販売を始めますのアナウンス。
以前よりもやっぱりオシャレで明るいテーブルではあったけど同じようにいりこだしのうどん。
メニューにシンプルなうどんが無かったのがちょっと残念だった。
レモンとかオリーブとかそういった地元の具の入ったものばっかりだったとおもう。
それでも深夜便でこれを食べるとまたあのときのように格別な美味さに感じるのかな。
Posted by sitomi - 2023.10.21,Sat
神楽坂の和可菜。
ここの日記でも十数年前に記事を書いたかもしれない。
一時この和可菜に頻繁に泊まっていた。双葉社でたくさん仕事をしていたころ。
ここでネームを書いて、担当さんに来てもらって、またネームを直して…
というエラソーな風に聞こえるけども、単に趣味であった。
昭和の和風建築はもうたまらない魅力がある。
そして当時この和可菜にはももちゃんという猫がいた。
といっても、僕が定宿にして数年経ってからやってきた子猫だ。
夜寝ていると、廊下からふすまをカリカリしてきて、中に入れろと言ってくる。
仕方ないのでいれてやると、十分ほど暴れまわったあと布団に入って寝てしまう。
そんな体験のできる宿が東京の新宿区にあったのだ。
母親を連れて泊まったこともあった。
アシスタントも数人連れて泊ったりした。
やがてそのうちの一人の女子アシスタントがものすごくここを気に入って
自分の定宿にしだしたので、僕は別のホテルに鞍替えした。
「奥様」と呼んでいたオーナーがいて、当時ももう齢80は超えていたと思う。
僕もけっこうよくしてもらったが、彼女はもっともっと
ずいぶんとその奥様と仲良くなったようだった。
やがて奥様も亡くなり、和可菜は人手に渡ったようだが
結局、建築家の隈研吾氏によって手が入り、また宿泊施設となると聞いた。
でももう泊まることもない。
あの宿はあの奥様によってあの空気が作られていたし
ガワは同じでもデザイナーと呼ばれるような人が入った建物は
いくら似ていても全然別物になるだろう。
もちろんそれも悪いことではないけども。
いまは毎回ドームホテルとメトロポリタンを行ったり来たりで泊まるようになった。
身分相応に安い部屋でお世話になっています。
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