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田舎在住マンガ家艶々の日常など
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Posted by sitomi - 2016.03.07,Mon
ちょっといいワイングラスを買ってきたので今日はワインで一杯





ーなんて思っていたのに結局ノルマ分の下書きは終わらずワインも空けず、
結局きゅうりのキューちゃんとのり玉のふりかけをアテに大好きないつもの焼酎で晩酌する夜。

さてそんな時間はipadでネットをふらふらと見ているコトが多いのだけど、目に付いたのが保育園に入れないことがどうのと言う最近話題のあのお話。
詳細を知るに心を痛めるが、ニュースになるよりも前、ツイッターの誰かのRTでその見出しを初めてみたときは正直、なんだかなあ、だった。内容では無く、その表現で。
“死ね”というわりとえげつない言葉を使ったセンテンスをこうして不特定多数の人間によって世界中に報せ回されてしまうという現実。

言葉というのはけっこう大事なもので、その使い方で最初の印象も決まってしまったりする。
友人同士で話すときと公的な場所で話すときは当然違うし、目上の人や年下とでももちろん違う。だからこそ大事で面白いモノだとは思うし、こうして末端なれど表現することを生業としていると多少敏感にもなるものなのだ。

彼(か)のつぶやきは結果として問題提起としてはとても良いことだったと思うし、おそらくは本当に発信者の心の叫びだったのかも知れない。しかし結果としてその人を殺すかのような言葉がいまだにニュースのトップを飾ってしまっている。もちろんマスコミはそのインパクトをもって見出しとしてあの過激な言葉を取り上げているのだろう。しかしそれをわかっていても、やっぱりそれをふと見つけたとき空恐ろしい気分になる。もちろん抽象的な意味合いとしてではあるんだろうけど、それでも「死ね」と言う言葉はやっぱりだれかそこにいるなにかの命を消してしまえという意味だ。それはいつからああも軽々しく使える言葉になったのか。

ーとはいえあの言葉で無ければきっとここまで話題にならなかったのも事実だろう。
それでも酒に酔って目にすると、ああいう言葉が見出しに平然と使われ続けられるとき、ニュースを編纂する人間はその言葉に敏感じゃ無かったのかとふと思って妙な苛立ちを感じてしまうのだ。

結果ストレス発散のためのサケは、別のベクトルにモヤモヤを感じてなんの役にも立たないのであった。既に起こった現実に対して部屋の中で苛立つことが何の意味もないこともわかってはいるんだけれども。

酔っ払って書いているので明日になったら消すかも知れない日記ですが。
とりあえずスタッフは水曜日の集合。それまでにあと12枚。
明日も頑張ろう。


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