田舎在住マンガ家艶々の日常など
Posted by sitomi - 2025.04.04,Fri
元アシスタントで、いまは売れっ子漫画家になってる彼と関市のうなぎ屋へ行ってきた。
はからずも奢ってもらったりして、ウナギ食べようと言い出したのが僕だっただけに
なんだか申し訳なかったなあ、という気持ちでいっぱい。
でも美味かったなあ。いろんな意味で幸せな気持ちになれた。
ここんとこ家庭の事情でココロ休まることが少ない。
久しぶりに会う誰かと日常とすこし離れた話をしたりできるのはとても楽しいし
ストレスが抜けていく感がある。
もちろん、普段仕事場にいてくれるスタッフと会話できるのは
それもやっぱり思考を切り離せてありがたいのだけど。
昨夜一本原稿がアップして、これで締め切りに追われる流れがようやく一段落。
この数ヶ月、締め切りの本当のデッドライン近くまで引っ張ったことが
何度かあって、それもなんだかツラかった
デビューして以来、ほとんど締め切りに追われるなんてことが無い状態で
こと締め切りに関してだけは優等生だったのになあ。
ここから巻き返してまた元の余裕をもてるようにがんばります。
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Posted by sitomi - 2025.02.25,Tue
ココの日記もずいぶん間が空いてしまった。
年末くらいに書くつもりだったのに気づけば2月中旬。
年が明けてから明石の別宅を引っ越すことになって
それに加えて年末年始の仕事のスケジュール調整を完全に失敗してもうバタバタだ。
明石の住処は母親がゆっくりできるように
いろいろ手を入れている。もともとは自分がネームやったり
資料写真を撮りに行ったりするために借りた部屋だったけど
今となっては母の第二の住居としての意味合いが大きい気がする。
母は昨年夏に父が亡くなって以来すっかり元気をなくしていたけど
この引っ越しで少しずつ元気も出てきた。
元々は神戸の人なので少し西に位置はズレてはいるものの
故郷に帰るようなものなのでそれも効いているようだ。
いずれにせよ、部屋を借りているのに最近はあまり行けてなかったので
母が住んでくれるなら、しかもそれで安寧が得られるのであれば
願ったり叶ったりなのだ。
気持ちが落ち着いてくれると本当にありがたい。
仕事の方はといえば全然落ち着かない。特にパトス。
取材も出来ないのにアキ君はどんどん西へと旅に行く。
これマジでどうしよう案件で、ろくな資料もなしで描けるのかとても不安。
なによりいつも旅する回は必ず現地で少しでも滞在してみて
移動する際の距離感とか、交通機関とか空気感とか、
なによりそこにキャラが立ってどう思うんだろうか、みたいな
こんなマンガでもそれくらいはやってるんだけど
今回はもうそれもなしでネームを切ってるのだ。まさにいま。
で、行き詰まってこの日記を書いているという 笑。
この短期間でも行けるなら行ってみたいが…
はたしてどうなることやら
Posted by sitomi - 2024.11.05,Tue
12年ぶりにメインのクルマを買い換えたので慣らしがてら海まで行ってきた。
今度のクルマは後ろにベッドやテーブルがあるので
海を眺めながら珈琲を飲んだりのんびりしようと思ってたけど
車から降りてただただ海を眺めて帰ってきたのであった。
敦賀の町まで戻ってきたときに越前蕎麦を食べた。
この蕎麦も久しぶりだなあ。
父が亡くなって以降全然前の生活に戻った気がしない。
仕事もするし遊びにも行くけど心のどこかでなにかひっかかって
全然違う世界にいる気がする。
母の元気がなくなったのも一つの要因かも知れない。
元々ちゃきちゃきとしてただけにその姿がショックだ。
父とは思う存分最後まで一緒に意思疎通出来ていた気がしてたので
亡くなったあとも少しの寂しさで済んでいたのに
母のそれはただただ不安になるばかり。
まだ当分
今年が終わってもまだまだこういう気分が続きそうで気が重い。
Posted by sitomi - 2024.10.20,Sun
暑い暑い毎日がいつになったら終わるのかという想いの赤外線撮影。
オヤジさんが亡くなったあとの遺産整理というんですか
その色々な手続きがアレコレと襲ってくるのでずっとなんだか余裕があんまりない。
今週~来週くらいでそろそろ終わりかな?と思ったけど
結局完全に落ち着くには半年以上はかかりそうだ。
で、それはそれとして来年1~2月くらいで3冊ほど単行本が出るので
年末はさらに忙しくなりそう。
先週は久しぶりに東京出張だった。
ホテルは相変わらず高い。というかさらに高くなった気がする。
いつものホテルで以前は1万で泊まれたりした部屋が36000円だった。泣きながら支払って泊まったが
もしこの先連泊するならもう横浜あたりに泊まると各担当さんに宣言してきた。
打合せは横浜まで来て下さいお願いします。
横浜も高くなってるけど東京ほどではない。
というか全国高くなってるといっても東京だけ上がり幅が異常な気がする。
とりあえずエトスの新連載があるのでそのネームをまとめてどこかでやりたいと思ってる。
明石あたりでもいいんだけど。
というかそんな時間がとれたらいいんだけど。
Posted by sitomi - 2024.08.21,Wed
8月のお盆前に父が亡くなった。
写真右の方で琵琶を抱えているのが父だ。15年ほど前に僕が撮った写真。
今日で10日が過ぎて少し落ち着いてきた。
まだどこかにいるようで、でも もう会えないことも理解していて
なんだか不思議な心持ち。
先月は一緒に東京へ行ったし、琵琶の修理なんかもやりかけだし
心臓が弱ってはいたけど、わりとアクティブに動き回っていて
今回の入院もいつものようなもので、また退院したらアレコレやるつもりだったようだ。
なのでちょっと無念ではあったろうけど、概ねやりたいことはやれてたとおもう。
本人もベッドの上で最期が近くなったと気付いたときそんなことを言っていたので
僕は悲しくて泣いたりもしたけど、どこかで納得できていた。
実家は自宅からすぐの所で、(母の事もあるので)毎日のように通っていて
ときどき父の書斎にも諸手続のための書類などをさがすために出入りしている。
書斎には膨大な量の書類やなにかがあるのだけど、几帳面な性格からか
置き場所は系統立てられていて案外捜し物は苦にならなかった。
やがてこれらの整理もしなければいけないけど、まだしばらくこのままにしておくとおもう。
昨日の夜、父のPCの状態をみようとまた書斎に行った。
普段から簡単なメンテナンスやHDDの整理をしてあげていたので
書斎のPCはわりと自分のもののように扱えるのだ。
PCは問題なかったが、そのとき横の小さなテーブルの書類の束のなかに
僕(艶々)のwikipediaをプリントアウトしたものが置いてあったのをみつけた。
そういえば東京行ったときにそんな話してたなー、と思い出しつつも
まさかプリントアウトまでしているとは思ってなかった。
はたして自慢の息子であったか、興味本位か。
ただ、なんとなくそれを見てはじめてふわっとした寂寥感に襲われた。
このプリントしたものを間に挟んで話をしたかったかな。
いや、僕がしたかったな。
亡くなってしまった人とやり残したことなんていくらでもあるよ。
たぶんみんなそうだろう。
でもそんなの忘れたふりして前向いていこうかなとおもう。
という、今日は自分の整理のために書いてみた雑記。
きっと父はココも見ていたんだろうけどまあこれはもう見られまい。
恥ずかしいから見なくていいのだ。
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